「集団たま。」って名前がとてもチャーミングだと思ったのですが、この愛らしい名前は誰がつけたのですか?
命名は現メンバーの中西です。シンプルで覚えやすい、ということで決まりました。中西が実家で飼っていた猫の名前でもあります。ちなみに「集団」と冠したのは、活動を演劇に限定したくなかったためです。
|
飼い猫の名前だったんですね(笑)確かにすぐ覚えられちゃいますね。
集団たま。は早稲田大学で旗揚げされたそうですが、どのように旗揚げに至ったのでしょうか?
中西(作/演/役者)と、丸山(役者)が大学のクラスで出会い、新しく演劇サークルを作る、という話になったところで、中西と中高演劇部の同期、かつ同じ大学に進学していた私にも声がかかり、まずはその三人からスタートしました。
当初は中西も丸山もどこかの演劇サークルに所属しようかと考えていたようなんですが、あまりピンと来るところもなく、それなら作ってしまったほうが早い、という話だったようです。私はその当時は特に演劇をやりたい!と思っていた訳ではなかったのですが、その段階ですでに中西と6年間芝居を続けていたという経緯があったので、何かを始めるなら一緒にやるに越したことはないか、という気持ちで話に乗り、今に至っています。
その後、新しい出会いや、多少の入れ替わりはありつつも、その三人を含め、旗揚げの2002年〜2004年くらいの間に出会ったコアメンバーは現在も大きくは変わっていません。
中西さんや丸山さんとの出会いが、演劇をはじめるきっかけとなったわけですね。
根本さんにとって「演劇」とは何でしょうか?
|
たとえば小説や映画と比べた時に、演劇という手法の一番魅力的なところは、作品が出来上がって完結して「パッケージ化」された商品ではない、という部分にあるんじゃないかと思うんですね。
なので、劇場というのは観客にコンテンツを鑑賞され消費される場ではなく、作り手側と受け手側の相互的なコミュニケーションが成り立ち得る場なのではないかと思っていて。
おそらく演劇に関わったことのある方には同じような経験を持っている方が多いんじゃないかと思うのですが、実際に当日のお客さんの反応によって、物語の持つある側面が強くなったり、同じセリフでもその意味合いが変わってくる事があります。あるいは上演を重ねることで作り手側にも見えていなかった要素が見えて来たり。
客席側にいても、あるセリフの一言や、ある役者の表情が、まるで自分のために用意されたかのように、個人的な経験に繋がって感じられることがあったり。
もちろんそういう相互関係が成り立つためには、作品のクオリティなど、超えなければならないハードルも多々あるのですが、それが成功した時の多幸感というのは何にも代え難い気がしていて。
なので、お客様も、一緒に作品を作ってくださる方も、そこに同じように価値を見出してくださる方々と、出会い続けていければいいな、と思っています。
|
演劇365ドットコムがお客様との出会いのきっかけになれば幸いと思ってます。
これまでに集団たま。はどのような作品を上演してきましたか?
旗揚げは2002年なのですが、ある程度のスタイルが固まったのはその翌年の「愛のリコーダー」でしょうか。タイトルの通り「愛のコリーダ」のパロディなのですが、ストーリーの中にショウステージを挟み込み、そこで歌われる歌がまた物語を方向付けてゆく、という手法の演出を採っています。「カリーなる一族」も同じスタイルの作品です。全体的に派手目でショウ要素の強い、大掛かりな舞台です。
一方で、「インディアンと飴男/UFOを呼ぶ」「右、斜め上がおよそ赤」等、キャスト数も少ないシンプルなセリフ劇も上演しています。
その他「黒蜥蜴」や「恐るべき子供たち」など原作ものも扱っていますが、いずれの場合も引用や比喩、暗喩のちからを借りて、お芝居の「ものがたり」の枠組みの中で、いかに副層的な解釈を可能にするか、多様な意味を持たせることができるか、ということに腐心しています。
もちろん作り手側の意図は多々ありますが、見ている人には大いに恣意的に解釈して頂きたいし、自己投影して"誤読"して欲しいと思っています。
その余地というか、それが可能な豊かさを作品に残しておきたいんですね。
|
|
今回の公演「白線の内側に下がってお待ち下さい。」は、どのような作品になってますか?
3名の女優+1組の親子で送る、シンプルなセリフ劇です。
舞台も衣装も簡素で、淡々と物語が積み重なっていくイメージでしょうか。
設定としては、パン粉専門店の店番を亀がしているとか、村の産業がパン粉もどきの製造販売だとか、わりと突拍子もない感じだと思うんですけれど、ある意味絵画でいうところのシュールレアリスムにも近い手法で、そういう、あえて荒唐無稽な前提を提示して、その上にちょっと了解しがたいような物語に巻き込むということで、観客の皆さんには「日常感覚から引き剥がされる」ような経験をして欲しいなと思っているんですね。
たとえば、実際にいま私たちが生活している世界だって、単にそういうものだ、と引き受けてしまっているから気にしないで済んでいるだけで、本当はこの宇宙がどんなふうにできているのか、とか、こうして進んでいく「時間」というものの実態は何なのか、とか、考え出すとキリがないくらいに不可思議で了解不能なものだったりしますよね。
大抵の人はそういうことを忘れて生活しているわけですが、その奇妙さが無くなっているわけではなくて。
そういう問題にまともに向き合った時に初めて生まれる、日常とはまた違った思考形態や倫理観というものもあるんじゃないかと言う気がしているんですね。
なのでせっかく「劇場」という非日常の場に足を運んでいただくのだから、そういう経験を提示できればと。
作演にはまた別の意図もあるかと思うんですが、少なくとも製作側の人間としては、そんなふうに考えています。
|
最後に演劇365ドットコム読者にメッセージをお願いします。
今回、出演者に幼児がいるということもありますし、私を含めメンバーにも子連れが増えてきた、ということもあり、小さなお子様連れのお客様も歓迎しています。
子育て中、特に子供が保育施設に通う前の期間というのはなかなか外出先も限られるし、自分のために時間を使うことは難しい事が多いかと思うのですが、そういう場を設けることで、少しでもそんなお父さん、お母さんたちの気分転換の場になれば、と思って実施することにしました。
子連れでない通常のお客様には気になることも多々あるかもしれないんですが、その客席の環境もまた今回の作品の要素だと思って楽しんでいただければと思います。
ありがとうございました。
|